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あっちゃんのこと

音楽
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こういうときになにかを書く行為を、わたしは好かんと思っていた。
いざ実際自分がその立場になってみたら、こうしてブログの画面に向かっている。
頭の中がぐるぐるして、公式サイトを見てもニュースサイトを見ても同じことしかかいておらず、やはり現実であり、色々な人が彼を偲ぶ言葉を寄せているのを目にして、向き合えない現実にクラクラしてくる。
ということで、自分の巣であるブログに引きこもり、ただ自分の言葉を書きとめておくくらいしか自分の心と向き合う方法がない。
結局、自分も同じことをしている。好かんと思ったことをしている。きっとみんな同じ気持ちで、何か書いていたのだろう。自分がその立場になってはじめて分かることがある。自分の視野の狭さを恥じる。

3月、あれは仙台振替公演だった。
真ん中のゾーンのあっちゃんがよく見える二列目、あんな良席がきたのは後にも先にもこれが最後だ。最後になってしまった。
この日のあっちゃんはとても完成されていた。ツアーを回りきった後だというのもあるだろう。パフォーマンスの全てに意味があり、ライブというより、緻密に計算されたショーを見ているようだった。席が近いこともあり、そのショーの間違いなく主役となっていたあっちゃんが隅々までよく見えた。あっちゃんはコンサートに対するファンの思いをすべて背負ってくれているようだった。表情、指先の表現、歌声、全てが合致することで生まれる相乗効果の美。極上のエンターテイメントだ。これを体験できる自分は幸せ者だ。これを全国で行っているのだ。凄まじいことだ。あっちゃんはこれからどこへ向かうのか、これ以上の頂点があるのか。もちろんコンサートはメンバー全員がいて成り立つものだ。だれか一人欠ければ完成しない。それはそうだが、あっちゃんはフロントマンとしての自覚が充分すぎるほどある。あっちゃんがコンサートに与える影響を、あっちゃん自身がわかっている。
とんでもないものを見た、と興奮する頭で、もうすぐ始まるツアーのチケットを買い足し、普段は買わないメモカぴあを注文していた。

その後わたしは体調を崩し、ホールツアー2か所を楽しんだのち、悔しいけれどライブハウスツアーと年末武道館は見送ろうと決断した。また次に行けばいいのだ、と思っていた。その時はそう考えていたんだよ。

永遠じゃない、いつまで続くか分からない。それは毎回のライブで覚悟していたつもりだった。
自分の父親が亡くなった年齢にメンバーが近づいていくたび、いつかは終わる日が来るんだと分かっているつもりではいた。

椎名林檎さんとMステで共演した映像の録画も何度も見た。
紅白歌合戦、あの事務所のグループが出ないならBUCK-TICKが出ればいいよなんて話していた。
無限LOOPでバンドとして久々のMステ出演を果たし、これから毎回新曲が出るたびに出演してくれたらいいねなんて話していた。
コロナ禍でライブに思うように行けなかったけれど、これからたくさん行ければいいななんて思っていた。

楽しい思い出がたくさんある。
人生ではじめて行ったライブもBUCK-TICKの十三階は月光ツアーだった。ライブって、BUCK-TICKって何て素晴らしいんだろうと、そこから自分のBUCK-TICK人生がはじまった。その後少ししてから看病やその他諸々で音楽を楽しめる状態ではなかったのだけど、変わらずハイペースに活動を続けるBUCK-TICKがいたからこそ、わたしはまたここに戻ってくることができた。ライブを楽しいと思える状態に戻れたことが、どれだけ嬉しかったか。それはBUCK-TICKがいたから、BUCK-TICKがずっと活動してくれていたからこそ味わうことができた気持ちだ。

BUCK-TICKはわたしにとって生きる喜びそのものだった。
受け止めるにはまだ時間がかかる。

音楽
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この記事を書いた人

オタクらしいことを何もしていないがオタクというアイデンティティだけが心に残り続けているオタクゾンビです。少女趣味に偏り気味。
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