cali≠gari「第5実験室」-「弱虫毛虫」
ずっと欲しかったのでプレ値で買いましたよ。
ところで、カリガリの≠記号の本当の表記が縦だということを、知らない人もいるかもしれないないということを考えたりします。
そんなところで第5実験室。
むかーしむかし、VHSのプロモーション1は持っていたのですが、秀児時代のCDとしては君が咲く山しか持っていない。
ずっと欲しかった第5実験室、そろそろ手に入れておかないと、現物を手にすることができなくなる可能性もあるなと思って、高かったんですが買いました。
「弱虫毛虫」はずっと自分のテーマソング。
この曲の歌詞について、自分勝手なひどい歌だと書かれているのを読んだことがある。
そうかもしれない。けれど、これに救われる日がある。
自分勝手にもがき苦しんで、それを率直に表したこの曲のストレートな歌詞は、自分のことだと思う。
陰では悪口言うよ 誰も彼も信じられず
から始まり、
いつか見てろ 今に見てろ
と叫びつつ、
弱虫毛虫な僕が
と、自分の足元を見る。
ああ、本当に小さなことにクヨクヨして自意識過剰で折れやすい精神を持った自分自身を、こんなにも堂々と歌い上げる。いつか見てろと。
世の中には、この詞に共感できる人とそうでない人がいるのかもしれない。
私もいつか、共感しなくなるのかと思っていた。けれど、いくつになってもずっと、この曲は普遍的な魂な叫びのままだった。
救われるんだよ、何度でも、この曲に。
人と比べてしまう自分は止められない。
いくつになっても人の目が気になり、息が詰まる。
劣等感にまみれた自分。
でも、自分だけがそんなに悪いのか?と自問すると、そうでもない気がする。
他者からみたらどうかなんて知らない。ただ、自分の中にある事実は「今、自分が、つらいのだ」ということ。
逃げ出したけれど逃げられない。
そんな自分自身に、「弱虫毛虫」が寄り添う。
あるときは人のせいにしたくなる。それが本当に悪いことなのか?
いつか見てろ、と歌うことで繋がっている。なんとか、ここに。
それが他責的だということはわかっていて。だからこその、弱虫毛虫なんだ。
この曲を、他人事だと思いたい人生だった。
この曲の主人公がダメだと切り捨てられる人生だったら、どんなに楽だっただろう。
そうじゃないから、ずっと寄り添ってくれたんだ。この曲は。
第5実験室は他にも名曲揃い捨て曲なしのとんでもないアルバムですが、自分の思い入れが深すぎる「弱虫毛虫」のことで、今日はおわり。















