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さらば、わたしの人生。さらば、全てのエヴァンゲリオン。ーシン・エヴァンゲリオン劇場版によせて

この記事は約5分で読めます。

※大したネタバレは含まれませんが、まだ見ていない人にはまっさらな気持ちで映画を観てほしいのでご注意ください。

予告編が公開されるたび、公開日が延期になるたび、私はいつも言っていた。
エヴァは人生そのものだ。エヴァが終わると人生が終わる。エヴァを待つことが生きるの意味なのでどんどん延期して構わない。エヴァが公開されると生きる意味を失う、と。
冗談ではなく本気だった。エヴァが終わったら、私は今後何を楽しみに生きていけばいいのだ。
実際、こういう人は多かったのではないかと、シンエヴァを見終わった今、思う。

未だ消化できていない部分や、上手く言語化出来ていない部分がある。思考を整理する意図で、この文章を書いている。
この状態で優れた感想や考察、意見を読んでしまうと自分の思考が上書きされてしまい、あたかもそれが自分の感想だと思ってしまうので、今はまだほかの人の感想を読まないでおく。
平日公開だったので見られる休日までネタバレを踏まないようにしていたが、この生活はまだ続きそうである。
なので一般的にどういう感想が普通なのかは分からない。
ただ、これが私が見ながら、見終わった直後に考えていたことというだけだ。

私にとって、またエヴァという作品そのものにとって、シンエヴァはレクイエムだったように思う。
私のようにエヴァがただの娯楽作品の域を超えて人生に食い込んでいる人は数多くいる。
そして、TV版から四半世紀以上生き続けたエヴァンゲリオンそのもの。
これらを解放するための物語だったと私は感じた。
実際、Qまでの劇場版は、何度見ても足りなかった。とくに破は仕事帰りのレイトショーに通い、Qは公開初日の最初の上映後、フラフラしながらその日の次の回のチケットを取り、続けざまに2度観てさらにほかの日にも通った。
それに対して、シンエヴァはもう充分だという気持ちもある。もちろん悪い意味ではない。
まだ消化しきれていないのでまた観に行くが、破やQで感じた「もっと観なければいけない」という焦燥感がない。まさしく最後にふさわしい後味を残した映画だった。
シンエヴァで、TV版、旧劇版を含めたエヴァを振り返り、エヴァとエヴァに囚われた人を解放してくれた。
少なくとも、私は解放された。エヴァが終わってもいい、と初めて思うことができた。

最初に、エヴァが人生そのものだと言った。
終わったら生きる意味がなくなるとも思っていた。
しかし実際こうして幕引きを見届けたことで、私が今歩いているのは、エヴァの道ではなく、私の人生の道そのものだと気がついた。
エヴァは人生において大事なものであることは変わりないが、エヴァの1本道だけを歩いてきたわけではない。
毎日毎日エヴァを心待ちにしてきたわけでもない。
ほかの何かしらの楽しみを持ち、普通に仕事をして生きてきた。
実際、エヴァ破に何度も通ったその年の秋には、BLゲームに出会い夢中になっていた。
Qが公開されてからこれまで待つ間にも自分自身だいぶ大人になり、ある程度普通に仕事をこなしている。
壊れやすい精神を持った、何もできないくせに自意識ばかりが大きかった昔とは違う。
大人になってみると自分が昔と変わらず子供っぽいままだとは思う反面、子供の頃そのままの自分ではないことに気がつく。
思ったよりも精神的に幼いと感じるだけで、実際の自分はその辺にいるただの大人でしかない。
エヴァに縋るしかない時代は、とうの昔に終わっていた。それなのに、終わっていたことに気がつけなかった。
いつの日からか、シンジ君ではなくミサトさんに感情移入するようになっていた。しかし今ではそれすら通り越してしまった。じゃあリツコか?ゲンドウか?冬月か?というと、それも全部違うが。
しかし今回見せつけられたゲンドウのどうしようもない弱さに、自分の影を見た。
みっともない姿に、エヴァにしがみついた自分の現実の姿を突きつけられるようだった。

子供のままではいられない。青いままではいられない。
みんなそうだ。エヴァだけが人生ではない。
シンエヴァがこれまでの人生の集大成ともいえる。
エヴァがあった毎日が終わり、エヴァがない毎日が始まる。
確かにエヴァは私の人生の象徴そのものだったが、人生のすべてではない。
エヴァがなくても毎日を歩いていかねばならない。
ただそれだけだ。

これだけの長い間、生きる意味になってくれたことに、感謝している。
エヴァは自分にとって、大事なものになりすぎていた。
自分の中のエヴァを、その重さから解放する日が来た。
私はエヴァに、作品とは関係ないものを重ねていたように思う。作品の続きを純粋に楽しみにしているのではなく、待つ行為そのものが人生の意味になっていた。エヴァがあるから死ねない、という気持ちがあった。
エヴァとともに歩んだ人生に、明るくさよならを言える日が、やっと来た。
生きる意味がなくたって、毎日を重ねるだけで人は生きていけるはずだ。
エヴァという道しるべがない未来は、少し不安だけれども、少なくとも今、私は別に今すぐ死にたいわけじゃない。
正直、今だって長生きを望まない気持ちはあるけれど、それはエヴァとは関係のない事柄によるものだ。生きる意味そのものをエヴァとすり替えてしまったから、自分の中のエヴァはややこしくなってしまった。
それでも、今まで生きる意味になってくれてありがとう。
エヴァのない道を、歩いてみます。

このブログは女性向けアダルトゲーム(たまに男性向けも)とBL小説などをメインとしたレビューブログですが、思ったことを残しておかないとあとから後悔するのでこの場で公開しておきます。(だじゃれ)
盛大なポエムです。
TV版の思い出なんかを書こうとしたら個人的な内容になりすぎたので省きました。旧劇を観た映画館は館内全部がトイレ臭かったです。あの頃はシンジ君の「最低だ、俺って」の行為が何か分からないほど純粋無垢だったのに今ではえっちなゲームが大好きなので人は成長する生き物ですね。よかったですね。

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この記事を書いたひと
藤井エカテリーナ

藤井エカテリーナと名乗る人。
PCゲームとBL小説と乙女系小説を嗜んでいる。
わりといつも死んでいるのでゲームのプレイは恐ろしく遅い。BL、乙女、男性向けどれも好き。

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